東京地方裁判所 昭和41年(ワ)9283号 判決 1967年10月26日
原告(反訴被告) 飯田房太郎
右訴訟代理人弁護士 飯沢進
大竹謙二
被告(反訴原告) 坂東徳司
右訴訟代理人弁護士 鳥生忠佑
主文
本訴につき
1、原告所有の東京都目黒区緑が丘一丁目二二八五番一宅地一六〇坪九合八勺(登記簿上)と被告所有の同所二二八五番三宅地八二坪八勺(登記簿上)との境界は別紙図面(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)の各点を順次直線で結んだ線であることを確定する。
2、原告の被告に対する物件撤去通行妨害禁止の請求を棄却する。
反訴につき
3、反訴被告は反訴原告に対して金二五万円及びこれに対する昭和四一年一〇月一六日から支払済に至るまで年五分の割合の金員を支払うべし。
4、反訴原告のその余の反訴請求を棄却する。
5、訴訟費用は本訴反訴を通じこれを八分しその七を原告(反訴被告)の負担、その余を被告(反訴原告)の負担とする。
6、この判決は第3項に限り仮に執行できる。
事実
第一本訴
(1) 第一次的請求
原告(反訴被告、以下単に原告と称す)訴訟代理人は、第一次的請求として、原告所有の東京都目黒区緑が丘一丁目二二八五番一、宅地一六〇坪九合八勺と被告(反訴原告、以下単に被告と称す)所有の同所二二八五番三、宅地八二坪八勺との境界の確定を求める。被告は別紙図面(ヘ)、(ト)の間に設置した鉄扉を撤去すると共に右地上に物件を置くなどして原告の通行を妨害してはならない。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに妨害排除の部分について仮執行の宣言を求め、本訴請求原因として
(一) 東京都目黒区緑が丘一丁目二二八五番の一、二、三の宅地はもと一筆の土地(三〇六坪四合六勺)であり、訴外三宅紀元の所有であったが、昭和二三年七月一七日分筆して同番の二、宅地六三坪四合を訴外内藤英雄が譲り受け、残余の宅地二四三坪六勺は昭和二六年二月二〇日同番の一および三に分筆され、同番の一、宅地一六〇坪九合八勺を訴外平井紀子が譲り受け、同二七年一二月二三日同人から訴外柏原薫に対して譲渡され、ついで同四〇年三月二四日同人から原告がこれを譲り受け、原告の所有となった。一方右分筆によって同番地の三となった宅地八二坪八勺は昭和三九年一月二四日三宅から訴外河田芳重に対して譲渡され同年四月九日被告が右河田からこれを譲り受け所有するものである。ところで別紙図面(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(チ)で囲んだ部分(以下本件通路と略称する)は実測一一坪一合六勺であり原告所有地は本件通路を除くと実測一四九坪五合二勺、本件通路を含めると実測一六〇坪六合八勺となり、本件通路を含めた場合の実測が登記簿上の面積一六〇坪九合八勺とほぼ一致する。他方被告所有地は本件通路を除くと実測約七八坪四合一勺で本件通路を含めると実測八九坪五合七勺となり、いずれも登記簿上の面積八二坪八勺と一致しない。
(二) 昭和二六年平井紀子が二二八五番の一の宅地を買い受けた際、右平井と三宅紀元との間で本件通路に関し通行地役権の設定契約がなされた。かりに地役権設定契約が認められないとしても、本件通路は旧所有者三宅紀元によって分筆前より、私道敷として開設され通路としての形態を完備され通行の便に供されており、分筆後も現状を変えず引続き各土地所有者の通行の便に供されたのであるから、分割時に通行地役権が暗黙に設定された。かりに暗黙の地役権設定が認められないとしても、昭和二六年一〇月三日平井紀子が二二八五番一の宅地を買い受け、本件通路が既に通路としての形態を完備していたため通行に供しうるものと考えて、本件通路に接する部分に勝手口を設け本件通路を通行の便に供していたのであるから、一〇年の経過によって、時効により通行地役権を取得した。しかるに被告は昭和四〇年一二月頃別紙図面(ヘ)(ト)の間に鉄扉を設けて出入口をふさぎ、内部を整備して通路兼自動車置場として独占使用するに至った。
(三) このように原告所有の右二二八五番の一の土地と被告所有の同番の三の土地とは、相隣接し、境界に争があるのでその確定を求めると共に、原告は本件通路につき少くも通行権を有するから被告に対し右鉄扉等の撤去並びに原告の通行妨害の禁止を求めるため本訴に及んだと述べ、末尾添付図面のイロハニホヘの各点を結ぶ線の検尺の結果が同図面に記載の通りであることは争わないと附陳した。
(2) 予備的請求
第二次的請求として、別紙図面(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)(チ)で囲んだ部分の土地一二坪九合が原告の所有であることを確認する。被告は別紙図面(ヘ)(ト)の間に設置した鉄扉を撤去すると共に該地上に物件を置くなどして原告の通行を妨害してはならない。訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに妨害排除の部分につき仮執行の宣言を求め、
右請求原因として、昭和二六年二月二〇日当時の所有者である三宅紀元が当時の二二八五番の一を現在の二二八五番の一と二二八五番地の三とに分筆した際本件通路部分は二二八五番の一に包含されるものでその後同番の一の宅地は前述の経過により順次平井紀子ついで柏原薫を経て同人から本件通路部分の土地を含めて原告が右の土地を譲り受け、所有権を取得したにも拘はらず、被告は右通路部分の所有権を争うので、原告が同部分の土地の所有権を有することの確認を求めると共に、被告は昭和四〇年一二月頃別紙図面(ヘ)(ト)の間に鉄扉を設置して本件通路部分を通路兼自動車置場として独占使用するに至ったので、原告は同部分土地所有権に基き前記妨害排除を求めると述べた。
(3) 被告訴訟代理人は「原告の第一次的および第二次的請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、東京都目黒区緑が丘一丁目二二八五番一、二、三の土地の従前の分割およびその所有権移転の経過並びに原告所有地および被告所有地の実測面積についての原告の主張事実は認め末尾添付図面のイロハニホヘの各点の検尺の結果が同図面に記載された通りであり本件通路は分筆当時から二二八五番三に含まれていたものであって、原告は右部分の土地について所有権は勿論何らの権利も有しない。被告が昭和四〇年一二月頃鉄扉を設け、本件通路部分を通路兼自動車置場として使用したことは認めるが、被告は所有土地について正当な権利を行使したまでのことで原告は本件通路を通行する何らの権利も有しないから被告は添付図面イロハニホヘの各点を順次結ぶ線が原、被告の各所有土地の境界であると主張し、予備的請求に対しては、右通路部分につき被告の所有権を主張するものであって、原告の権利主張はすべて容れられないと述べた。
第二、反訴請求
(1) 反訴原告(被告)は反訴請求として「反訴被告(原告)は被告に対し金四五万円およびこれに対する昭和四一年一〇月一六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は反訴被告(原告)の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、
反訴請求原因として、本件通路は被告の所有に属し、原告は本件通路について無権利であることを知りながら、昭和四〇年三月以降、本件通路は原告が買受けた土地の一部でその所有に属すると強弁主張して被告に紛争をしかけ、且つ東京地方裁判所昭和四一年(ヨ)第四四六六号仮処分命令申請事件において、昭和四一年五月三一日通行妨害禁止の仮処分命令を騙取してこれを執行し、さらに同年六月二五日東京地方裁判所昭和四一年(ワ)第五八八三号土地所有権確認等請求訴訟事件を提起し、被告をして応訴せしめ、また昭和四一年七月頃から原告は本件通路に接着する自己の塀上に「飯田勝手口」と記載してある木製表示を出して、あたかも本件通路が原告の勝手口であるかの如き表示を行ない、出入商人、店員等をして日夜を分かたず本件通路を通行せしめて、被告の本件通路の利用を妨げている。
これがため原告は被告をして原告に本件通路の所有権が無いことを種々説明して、時間的にも経済的にも種々の浪費をせざるを得ないようにさせたばかりでなく、仮処分異議事件及び前記本案訴訟に無用に応訴し且つ本件反訴を提起せざるを得ないように仕向け被告に対し、財産上並びに精神上の損害を蒙らせ、また原告の前記「勝手口」の表示により精神的侮辱を与え被告の名誉をも毀損した。原告の右の行為により被告がうけた損害は(イ)前記仮処分異議事件及び所有権確認等請求訴訟事件並びに右訴訴事件の反訴請求事件について、訴訟代理人として弁護士に訴訟を委任するのに着手金として金一五万円を要し同額の損害をうけたのでその賠償を求めると共に、(ロ)被告のうけた右精神的損害に対する慰藉料として金三〇万円が相当であるから、結局被告は原告に対し、損害賠償として右合計金四五万円およびこれに対する反訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月一六日から右支払済まで年五分の割合による金員の支払を求めるため反訴に及んだ。と述べた。
(2) 原告は「被告の反訴請求を棄却する、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
答弁として、原告が仮処分命令を得且つ訴訟を提起したこと、「飯田勝手口」と記載してある木製表示を出したこと、出入商人、店員等をして本件通路を通行せしめたことは認める、その余の事実は否認する、と述べた。
第三、証拠≪省略≫
理由
(一) 本訴についての判断
東京都目黒区緑が丘一丁目二二八五番の一宅地一六〇坪九合八勺(登記簿上)が原告の所有であり、同番の三宅地八二坪八勺(登記簿上)が被告の所有であって、相隣接することは当事者間に争がない。ところで本件係争部分である通路部分の土地即ち末尾添付図面のうちニ、ホ、ヘ、ト、チ、ニの各点を以て囲まれる部分につき、原告は、これが柏原薫から買受けた右二二八五番の一の土地に含まれると主張し、被告は同部分の土地は河田芳重から買受けた同所二二八五番の三の土地の一部であると主張するので按ずるに≪証拠省略≫を綜合すれば、原告が買受けた二二八五番の一の土地はもと平井紀子の所有であり、本件通路部分は右の二二八五番の一の土地には含まれないものであって、昭和二七年一二月二三日同人から柏原薫に対して右通路部分は含まないものとして譲渡され(譲渡の事実は当事者間に争がない)、ついで同四〇年三月二四日右柏原から原告に対して右の土地(実測図に基づき一四八坪八勺二才)を代金二〇〇〇万余で売渡し(この譲渡の事実も当事者間に争がない)本件通路部分は右売渡部分の対象とはなっていなかったこと、そして被告所有の二二八五番の三の土地はもとの所有者三宅紀元の所有で、本件通路部分はその土地の範囲内に含まれるものであって、かねて河田芳重はその地上の建物を買受けたので右の土地を三宅紀元から賃借していたが、昭和三九年一月二四日三宅紀元から本件通路部分を含む二二八五番の三の土地を代金約二〇〇万円で買受け(この譲渡の事実は当事者間に争がない)このようにして河田芳重がその所有権を取得していたが、同三九年四月九日同人はこれを被告に譲渡し(この譲渡の事実も当事者間に争がない)従って、被告は、本件通路部分を含む右二二八五番の三の土地の所有権を取得するに至ったこと、前述の原告が柏原薫から右二二八五番の一の土地を買受けるに際しては、佐々木正がその売買を斡旋したものであり、本件通路部分は被告の土地であるから柏原と原告との右土地売買の土地の範囲には含まれないことを売主の柏原から聞いて熟知して居り、従って右売買の契約において実測は一四八坪八勺二才で、私道は含まない旨を原告のいる前で記載して当初の契約書を作ったものであったこと、尤も甲第二号証なる柏原薫と原告間の昭和四〇年三月二三日付売買契約書なるものが存在し、その添付図面には一四八坪八勺二才の記載がある外、同契約書中の物件の表示欄に「一六九坪九合八勺私道を含む」なる文言があるけれども、そもそも右甲第二号証なる契約書は前記の当初に作成された契約書より後に税務署対策として約二ヵ月位後に作成されたいわゆる裏契約書であって、しかもこの裏契約書作成に際しては、三田秀雄なる者がタイプで案文を作成して来た文中に右のように「私道を含む」旨記載してある部分があって事実に反することが指摘されたけれども、その書面には図面もつけ契印もするから「私道を含む」とある部分を消さなくても心配がないと三田が強く言うのでそのままになってしまったのにすぎないこと。更に原告が前記土地を買受けるより以前にも、本件通路部分の土地について柏原方も隣地の内藤方もこれを通行する権利はなく、柏原方の裏の右通路部分に面して設けられていた小さい出入口も柏原方において被告方の承諾をえてときたま通行したにすぎないもので、その都度柏原方は被告方に対してありがとうとお礼の言葉を述べていたということ、そして平井、柏原ないし内藤に対して明示的にも黙示的にも右通路部分につき通行権の設定がなされたようなことはなかったこと、また同人らから通行の対価としての地代等が支払われたようなことはなかったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫そして末尾添付図面のイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘの各点間の検尺が同図面に記載の通りであることは当事者間に争がなく、以上の事実によれば、本件係争通路部分の土地は原告の所有ではなく被告の所有であって、本件二二八五番の一の土地と同所同番の三の土地の境界は同図面のイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘの各点を結ぶ線と確定すべきことは明明白白であるといわなければならない。
また右通路部分につき原告主張のような通行権が設定せられたものとは証拠上認められないし、通行地役権の時効取得も肯認できない。従って、右通路部分の土地は被告所有であって、原告に通行権も使用権もないからこの土地に被告が門扉等を設けるのは当然の権利行使であって、原告において被告に対しその禁止を訴求すべき限りでない。
原告は第一次的請求のうち境界確定の訴が理由がないとき予備的請求として、所有権確認並びに妨害排除の請求をするというのであるが、境界確定の訴においては敗訴ということはありえないのであるから、予備的な右所有権確認請求については全く判断を加える余地がはじめから存在せず、また、第一次請求のうち妨害排除の原告の請求の理由がないこと右説示の通りであるから、予備的請求の趣旨中の妨害排除の請求も理由がないことが明らかである。
(二) 反訴請求についての判断
原告が仮処分命令を得且つ訴訟を提起したこと、原告が本件通路に接着する自己の塀上に「飯田勝手口」と記載してある木製表示を出したこと、出入商人店員等をして本件通路を通行せしめたことは当事者間に争がない。
本訴請求に対する判断においてなした認定事実並びに≪証拠省略≫を綜合すると次の事実が認められる。原告は右二二八五番の一の土地を買受けた際は、本件通路部分はその買受部分に包含されるものではなかったことを斡旋人の佐々木正から明示されて当初の売買契約書も作成されたものであるから原告としてもこの事実は充分知っていた筈であって、ただ税務署対策用の裏契約書である甲第二号証中の物件の表示欄に誤って「一六九坪九合八勺私道含む」なる文字が記載されているが、この誤記載もその成立に際し指摘されたに拘はらず何ら効力がないものとしてそのままにされたものにすぎず原告もこのことを知っている筈であったこと、甲第三号証の公図写によっても右通路部分は二二八五番の三の土地に含まれるように明瞭に図示されていること、昭和四〇年六月頃以降原告は被告に対し、原告自身では赴かないで、その子の英雄とか三田秀雄とか、青木清二とかを被告方に遣って何回にも亘り右通路部分について交渉させたりその後双方の弁護士をも入れて交渉させたあげく、遂に右通路部分は原告が買受けた土地の一部であると強弁するに至り、前記仮処分を申請して、その命令をえたので被告は、弁護士に委任してこれに応訴し、異議を申立て訴訟行為をなすのを余儀なくされたほか、原告は被告を相手方として本件本訴を提起して来た(仮処分申立、本訴提起の事実は当事者間に争がない)ので被告はこれに対しても弁護士に委任して応訴することを余儀なくされたほか、原告のそのような行為がなければ弁護士費用を支出することもなくその失費をなす必要もなかったから、その賠償を求めるため本件反訴を提起せざるを得なくなったもので、この間そのような失費による財産上の損害を受けたほか、右のような経過で本件通路部分について原告は不法な権利主張をなして長期間に亘り不当な精神上の苦痛を与えたもので、原告としては注意をすればこのような紛争を避けえた筈であるのにこれを怠ったことは過失があるのを免れないといわなければならない。以上のように認められる。そして≪証拠省略≫によれば、被告が右応訴等を余儀なくされたために弁護士委任のため失費として金一五万円を要したことが認められ、また前記認定事実から、被告のうけた精神上の損害としての慰藉料は金一〇万円を相当とする。よって原告に対し合計金二五万円及びこれに対する反訴状送達の翌日である昭和四一年一〇月一六日から支払済まで年五分の割合の損害金の限度で被告の反訴請求を認容し、その余の反訴請求部分は理由がないから棄却することとする。
(三) よって訴訟費用の負担につき民訴法第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 長利正巳)
<以下省略>